私×ブログ=?
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」応募作品です。
ちょっと頑張って堅苦しくしてみる。
私はブログを書くのが好きだ。
場所は点々としているけれど、インターネットで活動を始めた頃からずっと続けている趣味……いや、ライフワークの一つなのではないだろうか。
高校生の頃、甲田学人先生のMissingというラノベの影響で文芸部に入ってた。
部長もやったが、文章が上手だったわけじゃない。
むしろ、痛々しいポエムを量産してるだけの人間で、小説を書くと着地点がわからなくなる。
まぁそんな過去はさておき、ブログは小説ではない。
小説のように起承転結を書かなければいけないなんてことはないし、オチだってきれいにならなくたってその人の言葉だったのならなんでもいい。
よく勘違いしてる人がいる。
ブログを"ちゃんとした文章で書かねば"とか、"長く読めるものにしなきゃ"とか。
ぶっちゃけてしまえば、私にとってはそんなことどうでも良い。
その人の言葉、文体、文章のリズム。
それは、言葉を通した心……思考の呼吸の一つなのではないかと思う。
その呼吸を見てみたいから、軽率に他人にブログを書くのをおすすめする。
まぁあまり実りはよくないけど。
それでも、その人らしい文章を通した思考の呼吸を読みたくておすすめしている。
ちゃんとした文章にならなくてもいい、長くなくてもいい。
だってTwitterも今や本当にブログみたいなものだし。
私は今までブログで誰かに読まれる!という意識を強く持って書くことはほとんどなくて、自然体に思ったことをべらべら語っている。
私にとってインターネットは思考の休まる場所だったり、心を救われる場所だったり拠り所だったり、出会いの場所で。
丁寧に丁寧に選びぬかれたきれいな言葉ばかりではないけれど、その粗さこそがインターネットの魅力だし、むき出しの尖った何かにこそ光るものを見いだせたり、足元に転がる石にだって目を向ければ広い世界があることを教えてくれる。
小説やエッセイを読めなくたって、日々触れているその言葉ひとつひとつが文学で呼吸なんだと私は思う。
きれいな言葉や世界じゃない、だけれども光るものも濁るものも世界の一つだ。
その世界に足跡をつけたくてこうして私はブログを書く。
まぁそんな高尚な気持ちなんて1mmももって書いたことなんてないんだけれど。
高尚な気持ちで書くだけがブログじゃない。
だから、荒削りでも、オチがなくても、ヤマもなくても、誰かの言葉が読みたい。